「来てくれてありがとう。自分でがんばろうと思ったけど・・・もう限界で・・・どうしていいか分からなくて・・・。」
気仙沼の二日目、ワゴン車から出てきた私に小野寺さんという一人暮らしのご年配のご婦人が涙と震える声でこう話しかけてくれました。お隣の加藤さんは近所の教会に集うクリスチャン。加藤さんの声かけで、小野寺さんを含む近所の家々(特にお年寄りの)は私たちチームの支援の手を受け入れてくださいました。
実は、初日、加藤さんの家周りのヘドロ除去作業で、私は「もっと大切なことがしたいのに」と心の中で思っていました。私が思っていたもっと大切なこととは、被災した家々を回って必要な物資を届けて回ったり、被災所で家や家族をなくした人たちの話を聞いてあげたり、のようなことでした。
加藤さん宅の周辺は津波が膝上くらいまで押し寄せてきた地域です。近所に流された家などはありませんが、ほとんどの家の一階はヘドロでめちゃくちゃにされ、どの家の外側も汚れた廃棄物の山であふれていました。家の中に染み渡っている、重くて、汚くて、ぬるぬるして、海水と泥と油の混じった不快な臭いのヘドロ。泥海水を吸って重くなった汚い畳は剥がして捨てるしかありませんし、少し低いところにある台所がめちゃめちゃになったお宅での作業は5、6人の若者たちが力をあわせても気が遠くなるようなものでした。しかし、テレビなどの報道ではあまり取り上げられていないこのような人たちの一番の必要に、私はあまり敏感ではありませんでした。小野寺さんの言葉と涙は、このような「被災」を受けた人たちの苦しみと痛みの大きさを私にはっきりと気づかせてくれました。
神さまは私たちチームの時間の多くをこのような人たちの必要のために使ってくださいました。臭くて汚くて気の遠くなるような力作業を、笑顔を絶やさず、それぞれのペースと力量で一生懸命にこなしているみんなを見ながら、確かにイエスさまが私たちを通してこの地域の人たちに愛を現しているように思いました。悲惨な状況にかける言葉はなくとも、被災した方々ひとりひとりの苦悩と痛みに寄り添い、支えとなりたいという心からの思いがチームを通して流れていました。この寄り添い、支えになりたいという思いは、私たちに対する彼らの心を開いただけではなく、私たちが信じて歩んでいるイエスさまに対しても(少しだけでも)心を開くことに用いられたように思います。
みんな、作業の後、2時間近くかけて真っ先に向かった銭湯は本当に気持ちがよかったね~。一緒に特別な時に特別な場所で特別な人たちに仕える体験を共有できたチームのみんなには心から感謝しています。リーダーの祐介と原君も16人のチームをまとめてくれて本当にありがとう。主の導きを祈りつつ、これからも何らかの形で被災した東北の方々に主の愛を現していきたいですね!
植木貴浩(東京スタッフ)
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