私の最近の祈り課題はいつも同じものでした。
「私がいつも、ただ神様の愛を運ぶためだけにあってほしい。ただ神様が栄光を受けるためだけに私を使ってほしい。」
ずっとそう祈りました。この祈りは、自分の小ささと弱さのために神様が栄光を受けないことへの恐れから祈り始めたものでした。
東北に行く前、東北での災害があまりにも大きくてどれだけ悲惨なものか想像もつきませんでした。本当に日本で起こった出来事かさえ信じられませんでした。少し人ごとのように思っていたかもしれません。しかしChangeに参加している最中神様が私の心に触れて下さって、失われた魂に対する神様の深い愛と情熱を知りました。神様からの大きなImpactは「東北に行かなければ」という抑えきれない衝動に私を駆り立てました。女の私に何ができるだろう?私にできることなんてあるのだろうか?そんなことを考えたりしましたが、神様が私に望んでいることはただ、愛を知らないところに愛を、この足で届けることでした。もちろん不安もあったし、足手まといになるんじゃないかと思ったりもしました。いつもそんな恐れがあって、恐れからよく祈りました。「神様が私を待ってる人に会わせてほしい。私がちゃんと傷ついた心に寄り添えるように神様の心を与えてほしい。」
東北に行ってからは毎日どこに行っても誰に会っても、よく祈りました。初めはただ作業をするだけで、言葉も交わさずどろ掃除や、家の掃除をしました。それでも私に出来ることはこれなんだと本当に嬉しく思いました。出会う人全てが本当に温かく、「この大変な中にある人々を神様が祝福してくださるように・・・」よくそう思いました。
毎日毎日どろの撤去や掃除ばかりが続きましたが、最後にお会いした渡辺さんという方を通して本当に大きな恵みを受けました。渡辺さんのお宅でも初めはいつもどおりどろ掃除でした。しかし、作業の最後に渡辺さんと一緒に祈る機会が与えられました。祈る前、本当に怖くて「神様、私の言葉が神様の心であるように。言葉を守って下さい。」と一瞬思ってから祈りました。
私の祈りは本当に短くてたどたどしくて、決して素敵な祈りではありませんでした。しかし、祈り終わって目を開けた時、渡辺さんの涙する姿を見て、この拙い祈りを神様は神様の愛を届けるために使って下さったのだということをはっきりと確信しました。
津波の被害は本当に大変なものでした。間近で見て、何度想像しても想像しきれないほど、計り知れないものでした。でも神様は、確実に東北の地にもおられました。一つ一つの出来事に神様の足跡を見て取ることが出来たからです。神様はやはり愛の神様でした。
被害の大きさは、神様の愛がどれほど大きなものかを感じさせられるものでした。
一見希望がなくなってしまったように思える荒れた地で、そこに生かされた人々が、ただ一つの希望が誰にあって、その方がどれほど愛をもっておられる方かを知ってほしいと切に祈り、願いたいと思います。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
これからも東北のために祈りたいと思います。
秋本真由(大阪インターン)
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