「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先で愛することをせず、行いと真実を持って愛そうではありませんか。」(ヨハネ第一の手紙3:18)
Love in Actionを通して東北に行く道を開いてくださり、用いてくださった主に感謝します。
そして皆さんのたくさんの祈りに感謝します。このチームは皆さんの祈りに守られました。
多くの恵みを受けたので全部まとめるのは難しいですが、少し皆さんと分かち合いたいと思います。
気仙沼や大船渡で瓦礫の光景を見た時は本当に言葉を失い、自分の無力さを感じました。私が思っていた日本の当たり前のイメージが一気に壊されました。
私がここにいることには本当に意味があるのかと疑っていましたが、私の力ではなく主がこの地を覆って癒すので、私はその管として仕えたらいいのだと気づかされました。
そしてヘドロを捨てる地道な作業でも主は用いてくださり、私はただただ主の恵みに生かされていました。私は神様の愛を実践して仕えたいと思っていったのに、逆に現地の方やチームから祝福を受けてばかりでした。
熊谷さんというおばあさんの家でヘドロの除去などをしている間、少しその方と話す機会がありました。もっと熊谷さんのことが知りたいと思い、地元のことを聞いてみたら、津波が起こった後の大変な状況のことも分かち合ってくれました。
「大切にとってあったけどもうだめだ・・・もう捨てないと」と言いながらヘドロで使い物にならなくなった家の物を捨てていく熊谷さんを見て私は心が痛んでいるのに、ましてや彼女は、これ以上の被災を目の当たりにして、私には想像すらできない程の心の痛みを抱えている、ということがわかりました。
励ましの言葉をすぐ返すこともできず、ただうなずきながら彼女の話を聞きました。また、その日、家の片づけのお手伝いに来ていた孫さんたちと話をしながら笑う熊谷さんと一緒に喜ぶこともできました。
熊谷さんの話を聞く時間は本当に短かったけど、それを通して熊谷さんにイエスの愛と癒しを経験してほしいと心から思いました。
作業後、私のグループが熊谷さんの家族のために祈る機会もありました。東北の方と親しくなるのは時間が必要だと聞いたのに、数日間でこのように祈ることができたのも主の恵みでした。小さな祈りを通して主は熊谷家の心に触れてくださいました。
人と関わっている時も黙々と作業をしている時も気づかされたのは、自分の無力さと主の偉大さでした。私には癒す力もなく、本当の意味で励ます力もありません。しかし、主は一人一人の心を知っており、全ての悲しみと苦しみもわかっておられます。
どんな荒野でも主は癒し、どんな弱いものでも主は愛して用いてくださるという真実を東北の人たちに様々な形で届ける必要があります。主の無限の愛を東北の人たちに実践する必要があります。
そして東北はたくさんの祈りが必要です。続けて祈りましょう!
鈴木一江(大阪 STINTER)
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